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お誕生~半年

1017

亜沙美が生まれたのは、S61・9・11.
徳山中央病院です。(現・周南市)
体重3108g・身長49・5cm、39週の普通分娩でした。
実は、亜沙美が生まれる約2年前に、
私は、この病院で女の子を出産していました。普通に生まれましたが、
残念なことに、重い腸閉塞にかかり、生後間もなく他界しました。
そういうこともあって、病院側は、とてもこの出産に気を使って下さいました。
出産一ヶ月は、実家で過ごし、一ヶ月検診で、
「今度は、大丈夫です。順調に育っています」と、医師のお墨付きを頂き、
主人の転勤先へ向かいました。
その頃、一番気になっていたのが、体重の伸びの悪さでした。
ミルクを飲まない。寝ない。病気ではない為、病院にも行けず、
薬局の(赤ちゃん相談)によく行っていたように記憶しています。
3ヶ月検診では、やはり体重が増えて無い事を指摘され、
栄養指導を受けるために離乳食が始まって、
少し体重が落ち着くまで通院していました。
でも、体重には個人差がありますから、これが何等かの障害が原因だとは、
当時の私には分かりませんでした。(多分、医師にも)
ただ、[2人目の子供は楽だ]と世間では言われるのに、
何と手の掛かる子だろうと思いながら悪戦苦闘の日々を過ごしていたように
思います。一番記憶にあるのが、百日の写真を撮りに
写真館を訪れた時のことです。笑顔の写真を撮ろうと、
写真館の人が色んな手を使ってあやされるのに、全く笑わないのです。
上の子は、「は~い!」と言って、隠したぬいぐるみを出しただけで
笑ったというのに・・・。
何か変?・・・と思い始めていました。
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テーマ:自閉症児の親 - ジャンル:福祉・ボランティア

生後半年から2歳半まで

1019

いざ、思い出そうとすると、なかなか思い出せないのです。
その頃のことが、すごく曖昧なのです。
もう、20年も前になるのですから仕方がありませんが。
残念なことに育児日記も付けていませんでしたし・・・汗。
その頃は、<目が合わない><あやしても笑わない>
<名前を呼んでも、振り向かない>・・・と色んな疑問を抱えながらも
「変わった子」なんだと思おうとしていたのだと思います。
いえ、思いたかったのだと思います。
私の中で、障害の子は、体の成長も遅れているという認識がありました。
首がすわるのが遅いとか、寝返りが打てないとか、
ハイハイが出来ないとか・・・そういうのは無かったのです。
1歳2ヶ月で歩き、1歳6ヶ月には、走っていました。
母子手帳の記録の質問事項の殆どが○です。
2歳の記録の「2語文が喋れますか?」で初めて、×です。
「言葉の遅い子もいるよ。そのうち喋れるようになるよ」
と人に言われ、(そのうち・・・)と思っていたのも2歳を迎える頃には、
限界に来ていたように思います。でも、2歳検診では、何の手も打っていません。
何故だったのか、思い出せないのです。
「3歳まで、待ちましょう・・・」とでも言われたのかもしれません。
(目が合わない)・・・といっても全く合わないでもなく、
いないいないばぁ・・・をすると、笑ったりもしていたのです。
名前を呼んでも、振り向かないけど、耳が聞こえないわけでもなかったのです。
大好きなコーラの栓を開けると、あのシュワーッ・・・という音で、
飛んで来ていましたから(笑)。
でも、指差しも無く、物を取る時は、私の手を持って取るという
クレーン現象もあったのですから、間違いなく自閉症ですよね。
ただ、私が、自閉症については、育児書に記載されている
程度のことぐらいしか知らなかったのです。
先日、(光とともにを読んで、初めて自分の子が自閉症だと分かった)
ということを書いておられるブログに出会いました。
私もあの頃、その本があったらなぁ・・・なんて思いました^^。
あの本は、どんな自閉症の手引きよりも分かりやすいように思います。
読んでない方は、読む価値有りです♪
(秋田書店からは、何も頂いておりませんので・・・念のため^^)

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1歳から2歳半ごろ

1020

昨日、どの写真を載せるか、管理人(上の子)とアルバムを見ていたら、
面白い写真がありました。カメラで写真を撮る真似をしているのですが、
レンズの方を自分の方に向けているのです。
そういえば、バイバイと手を振る時も、手の平を自分の方に向けていました。
そう、自分が見えたままを真似するのです。
管理人が、「亜沙美って、押し車に反対を向いて乗ってたよね」
と言い出しました。私は、記憶にないのですが、管理人の記憶の中には、
皆と違う乗り方をしていたので、鮮明に残っているそうです。
あれだけ心配していた体重は、離乳食が始まると、じょじょに追いつき、
1歳の頃には、平均に達していました。でも、どこか変わっている子でした。
抱っこが大好きで、何処に行くにも抱っこ。
ベビーカーが好きで、一度乗ると、降りない。
事あるごとに泣き、かんしゃくを起こす。クルクル回っても全く目が回らない。
転んでも、全然泣かない。・・・・・どれもこれも変でした。
(昨日の写真は、1歳ごろです。生れた時から髪の毛が濃かったので、
月齢より少しおませに見えます。今日は、2歳頃の写真です。
可愛かったなぁ・・・^^)

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2歳半~3歳半頃

1022

私達親子は、この当時、主人の会社の社宅に住んでいました。
同じ棟にT君という一歳年上の男の子がいて、
棟の前の公園で一緒に遊んだものです。
彼も少し、緩やかな成長をしていたように記憶しています。
お母さんは、「男の子は、言葉が遅い子も多いしね」と言って、
男の兄弟の3番目ということもあってか、のんびり構えておられました。
でも、亜沙美が2歳半になった頃、そのお母さんから、
「3歳検診に行ったら、母子通園に行くように勧められたのだけど、
亜沙美ちゃんも見学しに行かない?」と誘われたのです。
そんな施設があることさえ当時の私は、知りませんでした。
直ぐに「連れて行って下さい。」とお願いして、翌日、母子通園施設を訪れました。
その施設は、授産施設と隣接していて、開設されてまだ5年の施設でした。
当時、15名ぐらいのお母さんと子供達で、10時ぐらいから3時ぐらいまで
リトミックや手遊びや散歩をしていたように記憶しています。
私は、その場で、「明日からでも来たい」ことを、申し出ました。
園の責任者だったO先生は、それを聞いて驚かれました。
「この施設は、生まれて直ぐに障害が分かったお子さんか、
3歳検診で何等かの遅れを指摘されて来られる方ばかりです。
自分の方から来ることを申し出られた方は初めてです」と言われたのです。
「そればかりか、勧められても来られない方が多いのですよ」と続けられました。
自分の子に何等かの障害があるかも知れないと思ったら、
こういう施設を利用したいと、思うのが自然なのではないかと、
その時は思いました。
何故、勧められても来ない人がいるのか・・・後で分かりました。
通園を始めて、暫くして、あるお母さんから
「ここに来ることを、親戚が反対するのよ。
みっともないから、行かないで欲しいと言われるのよ」と、言われたのです。
その時、地元で無くて良かったかもしれないと思いました。
確かに、全く見知らぬ土地で亜沙美を育てることは、
本当に大変でした。頼る身内が居ないのですから・・・。
でも、何のしがらみもないので、何をするのも自由でした。
障害児の親になりたての親は、自分の子の障害を認めるだけでも大変なのに、
世間の目に耐える力も備えないといけません。
世間がもっと温かい目で見てくれたら、
少しは、楽な気持ちで障害児の親になれるような気がするのですが・・・。
(今は、十分に耐えるというか、跳ね返す力が付きました!
じーっと、亜沙美を見る人が居たら、「何か?」・・・と聞けます・・・笑)

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2歳半から3歳半頃

1023_1

いざ母子通園を始めると、思ったより大変でした。
今まで、亜沙美の様子に合わせて、家事をしていたのが、
そういうわけにいかなくなったからです。
登園する迄に、亜沙美の相手をしながら家事をこなし、
帰宅後は、洗濯物を片付け、夕食の支度を簡単に済ませると、
夕方の外遊びに付き合わないといけません。
その上、上の子のピアノやクラシックバレエ等のお稽古にも付いて行っていました
し・・・。その頃の亜沙美は、園での散歩は、抱っこかおんぶです。
知らない道だと、泣いてひっくり返り、歩きませんでしたから・・・。
夏の暑い日の散歩は、ヘトヘトでした。(亜沙美は、涼しい顔でした・・・笑)
でも、あの頃は、<どうにかしたい>・・・の一心で頑張れたのだと思います。
(若かったし・・・笑)
それに、児童相談所の巡回指導で、「大変でしょうが、今は、自分の手で
育てて下さい。どんな子も小さい頃は、可愛い。この可愛い時期に一杯、
愛して下さい。この時期、他人の手に委ねると、大きくなって大変になった時、
愛情が持てなくなります。」と、いうような事を言われたような気がします。
園での生活は、大変だけど、同じ悩みを持つ人が居るという安心感からか
楽しく通園していました。
そんなある日、自閉症のお子さんを持つ、先輩お母さんから、
「亜沙美ちゃんは、自閉だよ」ときっぱり言われたのです。
もしかして・・・という思いはあったものの、ショックでした。
少し前、児童相談所の判定で「○も上手に書けるし、ある程度の理解も
しているから、言葉が遅れているだけでしょう。もう少し、様子をみましょう。」
と言われて少し、安心していたからです。

1023_2

(○を書くことが、大変なことだとその時知りました。
その当時、もう、亜沙美は、絵を描いていました)
そこで、園のO先生に「亜沙美の障害が何であるか知りたいので、
医師を紹介して欲しい」とお願いしました。
O先生は、「私が紹介出来る先生は、お二人います。T先生とO先生です。
これから、ずっと相談に乗って頂くのですから、貴女が相談しやすく、
指導が受け入れやすい先生でないと、付いて行けなくなると思います」と言って、
コロニーのO先生を紹介して下さいました。
予約を取り、診察を受けた結果は、(自閉傾向のある精神発達遅滞)でした。
当日、上の子に追いかけられ、笑って逃げている亜沙美を見て、
「自閉症の全ての項目には当てはまりませんし、人との関わりもありますから、
自閉傾向ですね」と説明を受けました。
O先生は、本当にお優しい先生で、どんなにお忙しくても、
穏やかに話しをして下さいました。
「とにかく、お母さんは、味方なのだと分かってもらうまでは、
全て受け入れなさい」と言われ、それを忠実に守りました。
でも、味方だと分かってからも、受け入れ続けた為、
とてつもなく我が儘娘に育ってしまいました・・・汗。

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3歳~3歳半頃

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当時は、はっきりと障害が分かったことで、悲しいという気持ちより
(今から何をするべきなのか)という思いの方が強かったと思います。
コロニーには、療育相談の他、感覚統合の訓練に通いました。
バス―電車―電車―バス・・と乗り継ぎ、2時間近くかけて行っていました。
(亜沙美は、よく膝の上に立っていて、バスの<降ります>ボタンを降りない
ところで押しては、運転手さんに謝ってた苦い想い出があります・・・笑)
O先生は、とても人気のある先生で、かなり待ち時間もありましたが、
先生とお話すると、随分気が楽になり、行くことも待つことも苦では
ありませんでした。
その他、通所施設に巡回指導に来ておられた国島先生の言語訓練を受けていました。
国島先生は不思議な力を持っておられ(そう思っていました^^)、
集中力のあまり続かない亜沙美に集中して訓練を受けさせて下さっていました。
私は、どうしても個人的に訓練を受けたくて、
コロニーのO先生に紹介状を書いて貰い、
第一日赤(当時のお勤め先)にご無理を言って、通わせて頂きました。
当時、先生が使用しておられたのが、A3版より少し大きめのパネルに
50音が書いてあり、磁石が後ろに付いたひらがな文字を当てはめる
という教育玩具でした。パネルの方は、一語づつしきりがついていました。
亜沙美は、これで、ひらがなを覚え、言葉も作れるようになりました。
家でも使おうと、製造元に電話して取り寄せたように記憶しています。
(今なら、インターネットで、簡単に取り寄せが出来るのに・・・汗)
残念ながら、すでにこの製品は製造打ち切りになっています。
亜沙美が使っていた物は、国島先生の元に行き、今でも
沢山の後輩達の役に立っている・・・と、先日、先生からお聞きしました^^。
先生は、今、個人で言葉の相談室<ホワイトベル>を開いて活躍しておられます。
先日、用があってアートスクウェアに来られ、久々の対面をされたそうで、
「大きくなったねぇ」と話されていました。
あの可愛い時期から、急に今の亜沙美を見られたら・・・
別人と思われたかもしれないと密かに案じています(笑)

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3歳から4歳ごろ

1025

私は、コロニーの診断が出てから、直ぐにそれぞれの実家に亜沙美の診断結果を
知らせました。主人の母は、翌日、本屋に行き、障害に関する本を購入して、
勉強してくれたようです。
その本は、後日送られてきた宅急便の中に入っていました。頭が下がります。
(<光るとともに>に出て来るお義母でなくて本当に良かったです^^)
私の母は、「亜沙美が不憫だ!亜沙美が不憫だ!」と言いながら、
オロオロしていたそうです。
私は、主人の優しい理解のもと、春休み・夏休み・冬休みは、
休みの間中ずっと実家に帰省していました(悪妻です^^)
帰省すると、何故か亜沙美は、この頼りない母のことが、大好きで、
べったりくっついていました^^。
その母も今は、亜沙美のことが、分からなくなりました。
でも、見舞いに来た人が、亜沙美のことを口にすると、涙を流すそうなのです。
惚けても、亜沙美のことが気になるのでしょうか。
(いつまでも親不幸です・・・。)
最近「すずめ(すすま・・・という地名です)ばあちゃん、行こう!
新幹線、乗ろう!」とよく、亜沙美が口にします。何か、感じるのでしょうか。
仕方ないから、「すすまばあちゃん、頭が痛くて、病院だから、行けません」と
説明しています・・・汗。
通所施設は、慣れてからは、毎日楽しく通所出来ました^^。
同じ悩みを持った親子の集まりですから、とても気楽でした。
行事も盛り沢山で、遠足・運動会・クリスマス会・餅つき等がありました^^。
名古屋場所がある時、お相撲さんが慰問に来られて、
記念撮影をしたこともありました^^。
近くの宿泊施設でお泊り会をしたこともありました^^。
本当に、楽しい毎日でした^^。
でも、翌年、責任者のO先生が退職されると、少し、園の体制が変わってきました。
考え方が、少しづつ私とずれてきているような気が・・・。

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4歳

1026

通園施設に通うことに迷いが出て来た頃、上の子の同級生の
T君のお母さんから「亜沙美ちゃんは、幼稚園に行かないの?
もし、行く気があるのなら、Tの通っていた幼稚園を紹介するよ」と声を掛けて
貰ったのです。
(余談・・・当時、T君は、上の子にぞっこん^^。ピアノの発表会には、
花束を持って来てくれ、誕生日には、自分の声のメッセージテープを
送ってくれました^^。小学の低学年の頃の話しです。その後、彼は、
中高一貫の進学校に進み・・・今頃、エリート街道まっしぐら?でしょう^^
そんなことなら、何とかあの時・・・と上の子と話しています^^。
上の子が一番もてた時代です・・・笑)
T君のお母さんの紹介して下さった幼稚園は、世真留愛敬幼稚園。
小さな園舎に50人ぐらいの子供達が通園していました。
ちいさな園庭には、うさぎ小屋やニワトリ小屋があり、ユニットバスの中には、
ザリガニが入っていました。亜沙美は、直ぐに、気に入りました^^。
そして、園長先生のご許可を貰い、11月1日から登園することになりました。

一年半通った通園施設の最後の日にこんな事を書いていました。
(昨日、何か記録を記したものがないか探していて、見つけました
当時つけていた連絡帳です。)
「先生方へ。
ついに卒園です。決して、そのレベルに達しての卒園ではないので
不安だらけです。でも、私が、決めた、亜沙美との新しいチャレンジですので、
後ろを振り返らず、前進しようと思います。
この一年半、子供達、お母さん方、先生方・・・色んな巡り合いがありました。
そして、この一年半で、わが子の障害を理解し、少し強くなれたような気がします。
これから先、私達親子に、色々な試練が待ち受けているでしょうが、
頑張って、乗り越えて行こうと思っています。
それから、私は、亜沙美をただの障害者として終わらせたくないと思っています。
結果的には無理かもしれませんが、この子の持っているものを伸ばして、
この子らしいものが一つだけでも持たせられたら・・・と思っています。
それが、今の私の夢です。一年半、本当にありがとうございました」
・・・あの頃は、やっぱり若かったなぁ・・・と
思う次第です・・・苦笑・汗。
15年も前のことですからねぇ・・・ふふっ^^。

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4歳頃~4歳半まで(年少さんの時期)

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11月1日(木)、この日から私達親子は、世真留愛敬幼稚園に通園する
ことになりました。幼稚園は、当時約、50名。
年少・年中・年長をそれぞれ半分に分けて、赤組と白組という縦割りの
クラスで編成されていました。
赤組が美世先生。白組が有里子先生でした。(亜沙美は、赤組)
どちらの先生も若いのにやり手^^。
幼稚園の先生になる為に生まれて来たようなお二人でした^^。
そして全体を仕切っておられたのが、園長先生の奥さんの美保子先生でした。
昨日、通園を始めた11月から翌年の3月まで(年少)を記録した連絡帳を、
読み返してみました。15年振りのことです。
懐かしい想い出がずっしり詰まっていました^^。
スモックのボタン掛けが出来るようになったこと。
皆が集中した下駄箱で、もみくちゃになりながらも靴が取り出せたこと。
礼拝で皆が座っている所に自分の椅子を持って行って、
好きな子の横に割り込んだこと。
いつも相手をしてくれるゆうこちゃんが、家に遊びに来てくれたこと・・・。
少しづつですが、皆の中で過ごせるようになったことの喜びが
書かれていました^^。
亜沙美は、その頃(今もですが・・・)サラサラの髪が大好きでした。
通園を始めて間もない頃、礼拝で座っているTちゃんの髪を後ろから、
そーっと触ったのです。
当然、Tちゃんは、「先生!亜沙美ちゃんが、髪をさわった~!」っと、
お怒りです^^
すると、美保子先生は、「Tちゃんの髪が綺麗だから触ったのよ。いいなぁ~!
亜沙美ちゃん、先生の髪も触って~」と言って下さったのです。
確かに、亜沙美がした事は、いけない事です。
でも、亜沙美が髪を触ることで関わりを持とうとしているのだから、
そうさせてやりたいと思って下さったようです。
すると、あちらからも、こちらからも「亜沙美ちゃん、私の髪、触っていいよ~」
と言う声が・・・^^子供は、本当に純粋です。
あの時、叱られていたら、亜沙美は、皆の中に入れないままだったかも知れません。
美保子先生の適切な判断に、感謝です^^。
美保子先生は、その後も、亜沙美が出来ないことがあると
「今、亜沙美ちゃんは、出来ないけど、きっとそのうち出来るようになるから、
待っててあげようね」・・・というように、何かにつけ亜沙美が仲間はずれに
ならないように気配りして下さいました。
それから暫くして、Tちゃんのお母さんが「亜沙美ちゃんに触ってもらうから
髪を洗って・・・と言うんです。髪を洗うのを嫌がっていたのに。
ホント助かります」とお礼を言われました^^。言うまでもなく、感激です^^
そして、3月、亜沙美のお世話をいつも買って出てくれていた、ゆうこちゃんが、
「おばちゃん、亜沙美ちゃんを、私が行く学校の特殊に入れてね。
私が、面倒を見てあげるから。約束だよ」と言って卒園していきました。
確かその頃、通園施設の知人から「文集を作るのだけど、亜沙美ちゃんとこも
参加してくれない?」という電話を頂きました・・・・。

<お知らせ>
明日から三日間、亜沙美がお仕事しているアートスクウェアで開所、
1周年記念祭があります。
最終日の30日(日)の午後からは、イベントもありますので、
どうぞお越し下さい^^
レターセット・ステッカー・ポストカードも販売しています^^。
(亜沙美のもあります♪)
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4歳の頃(文集)

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先日、幼稚園の頃の連絡帳を探していて、通園施設の文集が出てきました。
全く、記憶にない文集でした。手に取って読んでみて、「そういえば・・・」
ぐらいの記憶しかありません。他の方のを読んでも、ぴんとこないところをみると、
送られてきたまま読まずに終い込んでいたようです。
これを載せるかどうか、迷いました。
実は、今まで、親しい人にも話したことの無い、
亡くなった二番目の子のことを書いているからです。
思い出したくないことなので、ずっと封印してきました。
でも、もう20年も前のことです。
亡くなった子の為にも、載せようと思いました。
せっかく生まれてきたのに、何の証しもないのでは、可哀想ですし・・・。

☆----------------------------------
途中で退園した私に、「文集を作るのだけど、投稿しない?」
との電話を頂いた時、少々戸惑いを感じ、迷ったのですが、
私自身のために、文集に参加させて頂くことにしました。
亜沙美のことをお話しする前に、私がどんな思いで、亜沙美を生み、
育てていたかを知って頂きたいと思い、
生後二週間で亡くなった二女のことから話させて頂くことにします。
昭和60年1月20日、体重3136グラムの女の子を出産しました。
次の日、授乳時間がきても呼びに来てもらえないことに疑問を抱き、
看護婦さんに尋ねると「先生からお話がありますから」とのこと。
そして、説明も受けぬまま母乳は、薬で止められました。
不安な思いで、二日間を過ごし、先生からあった説明は、
「腸閉塞です。小児科のスタッフが手厚く看護していますので、
とりあえず退院して、お家で連絡をお待ち下さい」でした。
信じられない思いで、予定より一日早く退院し、
<望美>と名づけて出生届けを出し、不安な思いで連絡を待ちました。
必ず迎えに行けると信じ、迎えに行く日を心待ちにしていたのですが、
それから二週間後の2月1日、帰らぬ姿となった望美をこの手に抱きました。
ピンクの新しいお包みに包まれたわが子は、
お包みの重さだけだったような気がします。
何の為に生まれてきたのか・・・。
抱いてあげることも、お乳をあげることも・・・
何一つ母親らしいことをしてあげていないことを悔やみました。
そして、その後、精神的ショックからか、体調を崩してしまい、
数ヶ月後、薬の副作用で腹水が貯まり、入院しました。
それから一ヶ月後、妊娠していることが分かりました^^
今度こそ、健康な赤ちゃんを生んで育てたいと思ったことは、
言うまでもありません。
そして、安定期になった頃、主人の転勤先のこの地に引越して来ました。
それから、数ヶ月後、里帰り分娩をし、亜沙美の一ヶ月検診を終えた
10月、またこの地に戻り、亜沙美との生活が始まりました
----------------------------------☆

文集の投稿文は、まだまだ続きがあります。
この続きは、明日以降に載せます・・・汗。

(余談)
昨日、俊ちゃんのお母さん(亜沙美と俊ちゃんは、同級生で、今は同僚。
お母さんとは、愚痴を言い合いながら、12年以上付き合ってきた仲です)に
「文集を載せようと思うけど、メチャメチャ長くて暗いのよ」と
言うと、「あの頃は、やっぱり大変だったのだから、明るく書くなんて無理よ。
いいんじゃない、暗くて・・・」と、言ってくれました^^。
それに、彼女も通園施設を卒園する時、原稿用紙7枚も想いを
綴ったそうです・・・笑。

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4歳(文集から)

1029

当時の亜沙美は、とにかく母乳もミルクも嫌がり、少し飲んでは、泣く、
また少し飲んでは、泣く・・・の繰返しでした。
体重は殆ど増えず、二人目だというのに育児ノイローゼになりそうな毎日でした。
3ヶ月検診では、案の定、体重の増加が悪いことが指摘されました。
病院では、喘鳴と診断され、レントゲンを撮りますが、別に異常はなく、
体重の増加が悪いということで、約一年間通院しました。
しかし、離乳食をよく食べたおかげで、体重が平均値までになり、
ここで通院は終わります。
体格や運動面が平均値に達しても、「単語が増えない」「呼んでも振り向かない」
「あまり笑わない」「こちらの話しを聞こうとしない」等・・・
不安な材料は揃っていました。それでも、「言葉は個人差がある」
「笑わないのは、性格かもしれない」・・・と思い、
唯一、年齢相応に描く絵を見て安心しようとしたものです。
でも、2歳半ぐらいになると、不安は募るばかりで、「何とかしないと・・・」
と焦りが出てきました。
その頃、同じ社宅のKさんから、この通園施設の見学を誘われ、
入園に至ったのですが、勤めを辞めて10年近く経っていた私には、
決められた時間に、手の掛かる子を連れて毎日通園することは、大変なことでした。
家事も上の子の世話も帰宅してからかかってきます。
それも、手の掛かる子の相手をしながらするわけですから、大変なことでした。
その頃は、全て終えて、布団の中に入ると、
誰よりも早く寝入ってしまう毎日でした。
当時、亜沙美は、園内の移動も散歩も全て抱っこ。
疲れる毎日でしたが、園での生活は、とても楽しいものでした。
愚痴を言ったり、聞いたり、励ましたり、励まされたり・・・。
その後、コロニーのO先生を紹介してもらい、亜沙美の障害を知り、
悩んだりもしましたが、いくら悩んでも、悲しんでも障害は治りません。
<今、亜沙美に必要なこと・・・>をしてやるしかないと思い、
頑張ることにしました。半年過ぎても少しも慣れず、
通園を嫌がる亜沙美が、唯一興味を示したのが、タオル揺らしでした。
来る日も来る日も安定せず、ただ泣く亜沙美を先生方は、
大判のタオルに乗せて、タオルの両側を持ち、揺らし続けて下さいました。
あまり笑わない亜沙美が、その時ばかりは、とてもいい笑顔をみせてくれました。
そして、その頃、園にM君が入園してきました。
まだ、2歳の小さな体で愛嬌いっぱいのM君に、亜沙美が初めて自分から
関わろうとしました。私まで嬉しくなったのを覚えています。
その頃から、亜沙美は、少しづつですが、安定するようになり、
名前を呼ばれると、手を上げて前に出て、挨拶らしいことが出来るように
なりました。そうこうしているうちに一年はあっという間に過ぎ、
仲良くなったお母さん方は、半分近くが卒園して行かれ、
お世話になった先生お二人が、退職・移動で、園を離れて行かれました。

(余談)
此処まで文集を写しながら、記憶だけで書いた、
前半のブログが間違ってないことが分かり、ホッとしています^^。
15年近く前のことなのに、記憶力がそう衰えてないなぁ・・・と
安心しました(笑)
でも、上の子のことは、全く記憶がないのです><。
赤ちゃんの頃は、200cc入った哺乳瓶のミルクをいっきで飲み干し、
飲み終えると、哺乳瓶を放り投げていたことと、
子供の頃は、泣き虫で、叱る前に泣くので、叱れなかったことぐらい・・・笑
その泣き虫な管理人も、今は、亜沙美の良き姉上ですし、私の片腕です^^
ですから、嫁には、出さないことにしています・・・笑。

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4歳(文集から2)

1030

2年目・・・1年目の経験もあり、私なりに、
2年目への期待は、大きくふくらんでいました。
亜沙美は、私に相変わらずべったりで、先生方の介入が難しく、
担当の先生からの提案で、分離療育をして頂く事になりました。
その事は、随分亜沙美も自信が付き、伸びたように思います。
でも、同時に母子通園施設においての単独通園の大変さを
痛感することにもなりました。
(余談・母子通園は、やはり、かなり親に負担がかかりますから、
 単独通園を望む声が他の親からも出てきたのです)
そんな折、知人から幼稚園を紹介されました。
亜沙美から療育の場を取り上げていいのだろうか・・・と随分悩みましたが、
健常児の中で、社会性が育てることも必要だと思い、転園することにしたのです。
幼稚園に行っても、相変わらずマイペースな亜沙美ですが、
子供達も子供なりに分かってくれて、「亜沙美ちゃんは、いいよ。」と
大目に見てくれたり、何か出来ると、「亜沙美ちゃん、じょうず!」と
声を掛けてくれます。今日も、二人分のお弁当を抱え、
たくさんの「おはよう」に迎えられて、母子通園をしています。
私は、今、亜沙美が泣いている訳や訴えている意味が充分分かって
あげることが出来ません。それは、とても切ない想いです。
でも、いつか心が通じ、お話が出来る日を楽しみに、私は頑張ります。
皆さんも、先生方と同一の目的(子供の療育)を持って、頑張って下さい。」


・・・余談・・・
実は、この投稿文は、もっと長かったのですが、あまりにダラダラ書いている
ので、省略しました・・・汗。俊ちゃんのお母さんと競う長さです・・・笑。
多分、この時期は、やっぱり大変で、思っていることを全部吐き出したかったの
だと思います。そうすることで、また、前に進めたのだと思います。
それから、当時の通園施設の保母さんは、市内の保育園の保母さんが移動して
来られていました。
つまり、意に反して移動して来られた保母さんも居たということです。
中には、はっきり、<ここに移動になったのは、都落ちだ>とか
<早く、現場に帰りたい>と口にだされる保母さんがいました。
そのころの私は、バカ真面目でしたので、腹が立ちました・・・若いですよね^^
今だったら、上手くやるのに・・・残念です(笑)
まぁ、結果的には、世真留幼稚園に出会えたわけですから、
良かったのかも知れません^^


・・・お知らせ・・・
大変長らくお待たせしましたが、やっとプレゼントの準備が出来ました^^
近日中には、お手元にお届け出来ると思いますので、
お楽しみにお待ち下さい^^
尚、ご連絡した方で、ご住所をお知らせ下さってない方は、至急、お知らせ下さい♪

テーマ:自閉症児の親 - ジャンル:福祉・ボランティア

4歳半から5歳半(幼稚園・年中)

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亜沙美のお世話をしてくれていたゆうこちゃんが卒園した後は、
ちゃんと次にお世話をしてくれる子がいました^^。
くみこちゃんです。くみこちゃんは、亜沙美が大好きな、
髪がサラサラの笑顔が絶えない女の子でした。
その頃亜沙美は、両手を持って、少し足が地面から離れる程度の高さで
クルクル回してもらうのが好きでそれをすると、ご機嫌でした^^
(回す方は、目がまわりますが・・・汗)それを知っているくみこちゃんは、
「おばちゃん、亜沙美ちゃんをクルクル回してあげて。
亜沙美ちゃんは、笑ってる方が可愛いよ。ねぇ、笑わせてよ。」とよく言って
来ていたのを思い出しました^^
当時、私は、亜沙美と一緒に登園していましたが、なるべく他の子の相手をして
過ごしていました。亜沙美は、不安になったり、困ったりすると
私の膝の上に座り、機嫌が直ると、皆の方に行ったり、
絵を描いたりしていたように記憶しています。その後、午前中のみ単独通園を始め、
慣れると、一日中お願いするようになったようです。
この辺りは、殆ど記憶にありません。
連絡帳を読み返すと、遠足や運動会・お誕生会(この年は、亜沙美の絵を
貼り付けたマグカップを頂いています)運動会・芋ほり・クリスマス会・
御餅つき等・・・沢山の行事を楽しんでいる様子が書かれていました^^
また、言語訓練で「目が悪いかもしれない」と国島先生に指摘され、
紹介された名大で検査を受けると、遠視であったこと。
矯正の眼鏡を掛けないといけなくなったことが書かれていました。
家では、こだわり行動のオンパレードで、困っている様子も書かれていました。
決まった靴しか履かないから、夜洗って、ドライヤーで乾かしていることや、
お気に入りのパジャマを洗わせてくれない事。其の事は、今もよく覚えています。
朝、着替えると、そのパジャマを押入れに入れて出掛けるのです。
仕方がないので、出掛けたすきに洗って干し、乾くと押入れに戻していました^^
それも、入れた時と同じ状態にして・・・笑。
それから、髪にもこだわりがあって、三つ編みが前にたれているのを、
後ろに回そうものなら、触った人の手を取って、
元の状態に戻させるのです・・・汗。関わっている人は、
「そこまでこだわらなくても・・・」と言いたくなりますが、
当の亜沙美は、何もかもに神経を使って、大変だったろうと思います。
この年、年中さんは、ゆりこ先生が担任で、お忙しい中、コロニーに行く時は、
園での様子を詳しく書いた手紙を用意して下さるなど、本当にお世話になりました。
先生が書いて下さった、連絡帳の最後のページには、
<園バスを利用しての登園・帰宅が出来るようになったことや、
園でのリズムが出来てきたこと・言葉が増えてきたこと>が、
愛情いっぱいに書かれてありました^^
そして、この一年お世話をしてくれたくみこちゃんも卒園して行きました。
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プロフィール

あみあみの母

Author:あみあみの母
自閉症の娘、あさみの
成長の記録です。
ホームページはこちらです。

もくじ

01 お誕生~半年

02 生後半年から2歳半まで

03 1歳から2歳半ごろ

04 2歳半~3歳半頃

05 2歳半から3歳半頃

06 3歳~3歳半頃

07 3歳から4歳ごろ

08 4歳

09 4歳頃~4歳半まで(年少さんの時期)

10 4歳の頃(文集)

11 4歳(文集から)

12 4歳(文集から2)

13 4歳半から5歳半(幼稚園・年中)

14 5歳半から6歳半(年長)

15 余談・・・就学

16 小学部1年生

17 もう一度、1年生

18 小学2年生

19 小学3年生

20 4年生

21 余談~<家>

22 5年生

23 余談(療育相談)

24 余談(地域支援センターらいふ)

25 6年生

26 余談(とくなが先生)

27 中学部1年生

28 中学部2年生

29 中学部3年

30 余談

31 高等部1

32 高等部2

33 そして、今

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