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5歳半から6歳半(年長)

1101_1

ついに園生活最後の1年です。
この年は、送迎バスに乗り、一日保育をして頂きました。
つまり、一緒にいなかったので、分からないのです・・笑。
おまけに、こひつじノートはあるのですが、
詳しく書かれた連絡帳が見当たりません・・・汗。
お世話の方は、同じ年長さんのちさとちゃんがしてくれたようです^^
行事は、年中さんの行事の外、人形劇の観劇・お泊まり会・お別れ遠足が
あったことは覚えています。
人形劇は、名鉄ホールでピーターパンを見ました^^
飽きて、騒ぐのではないかと、随分心配しましたが、
とても喜んだ事を覚えています。今だに当時買ったパンフレットを大事に見ては、
「名鉄・行こう!ピーターパン・行こう!」と言います。
(名鉄という言葉は、その時覚えたようです。その時は、言えなかったのですが、
ある日、急に言い出しました。^^)
お泊まり会は、初めての外泊でしたので、心配で、私の方が眠れませんでしたが、
亜沙美の方は私の心配をよそに、海水浴や、すいか割り・カレー作り等
体験させて頂いたようで、笑顔で写ったたくさんの写真があります^^
最後のお別れ遠足は、電車に乗って、愛知牧場に連れて行って頂きました。
電車の中で、美保子先生に抱っこしてもらっている写真や、
ポニーに乗った写真や牛を触った写真等、数え切れないぐらい写真を
撮ってもらっています^^私の方は、役員をさせて頂き、
バザーの準備や廃品回収など色んな経験をさせてもらい、想い出に残る一年でした。
卒園式は、私は、緊張して泣くどころではありませんでしたが、
代わりに泣いてくれたお母さんがいたようです。有難い事です。

・・・卒園文集から・・・
亜沙美・・・我が家で一番威張っていて、一番存在感のある、我が家の一員です。
この子に障害があるとはっきり分かったのは、3歳になる少し前でした。
ただ、その当時「もしかして・・・」と思っていましたので、
すでに母子通園施設に通園していました。
そこに行くと「私だけではない・・・」というのがあり、随分、
その頃の心の支えになったと思います。その施設を一年半通園した後、
知人の紹介でこの幼稚園に入園させて頂いたのですが、
「先生方や園児の皆さんに迷惑がかからないだろうか・・・」と
いつも心配していました。
でも、先生方の暖かい励ましでどうにか2年半が過ぎ、卒園となりました。
「亜沙美ちゃん、どうして喋れないの?早く喋れるように、神様に
お祈りしてあげるね。」と優しい言葉を掛けてくれた子供達に感謝しています。
どこかで、見かけたら、「亜沙美ちゃん!!」と声を掛けて下さいね。
・・・・・・・・・・・・・・・

亜沙美は、本当に良い環境のもとで、幼児期を過ごせたと思います^^
健常児と過ごした2年半は、良い経験にもなりました^^
でも、私は、12年間継続した療育が亜沙美の為に良いと判断し、
養護学校に入学することにしました。

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余談・・・就学

1102

就学先については、就学前のお子さんを持つお母さんにとっては、
一番悩まれる問題だと思います。
私の場合、養護学校の就学前の説明会で
「いずれ養護学校に通わせるおつもりでしたら、一年生から通わせて頂いて、
12年間トータルで教育させて頂きたい」という先生のお話を聞いて納得し、
養護学校に決めました。それに、地元の小学校から「是非、我が校においで下さい。
子供達も障害を持った子供と過ごす事で、成長します。
亜沙美さんのことは、私達教師が責任をもって教育しますから、
お任せ下さい」・・・なんてオファーもなかったし・・・笑。
それから、2年半、健常児の中で過ごさせてみて、
<皆と遊ぶのが好きでたまらない>とか<皆の模倣をして伸びた>という
ようなことがあまり見受けられなかったからです。
嫌がられても、皆にくっ付いて行く・・・ような子でしたら、
頭を下げて、特殊にお願いに行ったかもしれません。
私は、重度、軽度に関わらず、その子に合った学校がいいと思います。
ですから、<重度だから養護学校に行くように言われたけど、この子は、
特殊の方が伸びるからどうしても特殊に通わせたい>・・・と、
お母さんが思っておられたら、頑張って下さい!
納得しないまま、養護学校に行かせたら、ずっと後悔すると思うのです。
(光とともに・・・に出て来るような学校があるといいですが、
なかなかないですね。それに、あの学校も校長先生が変わると、
一変しましたから、入学の時の条件が持続出来るとは限らないというですね。)
よく、地元の学校に行かせて、地元の友達を作りたい・・・という理由から、
特殊を選ばれる方がおられます。それも必要かと思います。
ただ、亜沙美の場合、転勤者の寄せ集めの社宅で生活していましたので、
地元とは、縁がなかったのです。
でも、その社宅の子ども会(社宅の子供だけで、100人以上いて、
全く外部との交わりのない子供会でした)には、籍を置きました。
新入生歓迎会の時、私が、「○○○亜沙美と言います。皆さんと同じ学校に
行っていませんが、子供会には参加させてもらいますので、宜しくお願いしますね」と
挨拶したのですが、上の子はこの挨拶を聞いた同級の男の子から
「お前んちの妹、頭、いいんだなぁ、私立に行ってんだ!」と言われたそうです。
この話を後で聞いて大笑いしたことは、今だに忘れられません・・・爆笑。
私は、亜沙美のことで迷った時<亜沙美にとって、良いほう>
<もし、私が、亜沙美だったら、どうして欲しいか>・・・を
考えることにしています。
皆さんも、後悔のない選択をされますように・・・。
今日は、小学部の頃の事を書くつもりでしたが、全くと言っていい程、
思い出せません・・・汗。
やはり、幼児期ほど大変な思いをしなくなったからかも知れません。
それから、亜沙美の自閉が軽減されたのではなく、私が、少し、
亜沙美を理解出来る様になったのだと思います。
ですから、今晩、あの膨大な連絡帳に目を通してみてから書くことにします。

1102_2

あの膨大な連絡帳を目にして、<よくあんなに書いたなぁ・・・>と
感心すると共に、<あの返事を書かれた先生も偉いなぁ・・・>と
・・・感謝です^^。多分あの連絡帳の多さは、俊ちゃんのお母さんと
1・2を争う多さだったと思います。今になって、俊ちゃんと亜沙美が
同じクラスにならなかった訳が分かりました^^
きっと、担任の先生の負担を考えて・・・だったのですね(笑)
皆さん、連絡帳を書きましょう!
自分の子供の事を知ってもらう手段は、連絡帳だけですから・・・笑。
(でも、一応、この先生は、書くのが好きかどうか、
確かめてからにして下さいね^^)

きょうの写真は、七五三の記念写真です
(ドレスは、母が愛を込めて縫いました^^)

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小学部1年生

1103

今日から、小学部に入学してからのことを書きます。
最初、1・2年、3・4年、5・6年・・・と3回に分けてかくつもりでしたが、
連絡帳を読むと、1年生は、話題の宝庫です。
まぁ、何てことのない話題ですが、せっかく書き始めたので
書き出してみることにしました。以前、俊ちゃんのお母さんが、
「この連絡帳は、年をとってからの楽しみ・・・」と言っていましたが
よく考えると、私にとっては、それが、今ではないかと・・・汗。

☆-------
亜沙美の通っていた養護学校は、入学式の次の日から、
通学バスに乗って登校します。
先生が二人とバスの添乗員の方が一人乗って下さっているから、
何の心配もないはずですが・・・心配でした(汗)。泣いて乗ろうものなら、
帰って来るまで「まだ、泣いているのではないか・・・」
と、一日中そのことでいっぱい・・・(汗)
もう、親バカもいいところです・・・(苦笑)
まぁ・・・その心配も時が経つうち少しづつなくなりましたから・・・
そんな時代もあ~ったねと♪・・・ということです^^
今では、考えも付かないでしょうが、当時、亜沙美達の学年は、2クラス。
たった10名でした。亜沙美のクラスの担任の先生は、
S先生というベテランの男の先生でとても気がつく先生でした。
連絡帳を読むに従い、S先生が1年を受け持って下さってよかったなぁ・・・と
つくづく思いました。いつの頃からか、給食、大好き人間で、
4時間目に給食室に向かう亜沙美の姿を目撃されたこともありますが、
1年の時の連絡帳を読むと、どうにかして給食を食べさせようと
工夫されていることが記されてありました。やはり、最初が肝心です。
1年の時に、<学校というところは・・・>という教育をしっかりして頂いたから、
その後の亜沙美があるのだと思います。それから、入学したばかりの時は、
小さなマスコット人形を片時も離さず、持ち歩いていました。
それを取り上げるのは、至難の業でした。
S先生は、学校に着くと、預かり、帰りに渡す・・・ということを繰返し
して下さり、いつの間にか、学校に持って行かなくなりました。
他にも、数え切れないくらいの指導をこの一年の間にして頂き、
本当に感謝しています。ただ、亜沙美は、先生の真の優しさを知る由も無く、
悲しくなると、Y先生(亜沙美の大好きな先生です)に抱かれていたようで、
「亜沙美ちゃんが、泣いているから、抱っこしてあげようと思ったのですが、
断られました。どうも、僕は、嫌われているようで・・・」と
言われていたのを思い出しました・・・汗。
それから、家庭訪問に来られた時、先生が話される前でずっと、
「バイ!バイ!」と言ったことを覚えておられるでしょうか?
本当にあの節は失礼致しました・・・汗。
その当時は、行事も沢山あり、特に大きな行事は、音楽発表会、運動会、
学習発表会でした。どの行事も初めてですから、
私の方が緊張したように思います。音楽発表会と学習発表会は、
舞台に立っているだけで、感激し、運動会は、皆と走れただけで満足したものです。
最後に、連絡帳を読んでいて面白いことが書いてあるのが目に付いたので、
そのまま載せます。

<今日のニュースは、午後、あまりの暑さに着替えの時、
教室棟の足洗い場で行水をしかけたところで発見されたことです。
上半身裸になり、メガネを外し、スカートも上にたくし上げ、今、
いよいよ入ろうとした時に発見されたので、結局、未遂に終わりました。
今日の暑さは、我慢できなかったのでしょうね>


もう、これを読んだ時は、大笑いしてしましました^^。可愛い!可愛い?
1年生の時のことでした^^
それから、世真留愛敬幼稚園の美保子先生とゆりこ先生が、
亜沙美の様子を見に来て下さったことが書かれていました。
お忙しい中、卒園した亜沙美のことを気にかけて頂いて、
ありがとうございました。それから、1年の時に関わって
下さった先生方・・・本当にありがとうございました^^。

お知らせ
トップの動画を更新しました^^
久々に絵の具とクレヨンを使って描いてくれました。

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もう一度、1年生

1104

今日、久し振りに俊ちゃんのお母さんに出会ったら、「1年生の時のこと、
まだ一杯あるでしょう。もっと書いたら・・・」とアドバイスをもらい、
まさるママからも「ゆっくり長く書いて下さい」
という暖かい書き込みがありました・・・と、いう事で、
今日は、もう一日、1年生の頃のことを書かせて頂くことにしました。
(実は、今日は多忙で、2年生の時の連絡帳を読む暇がなかったのです・・・汗)

<余談・・・俊母との会話>
俊母「私ね、時々、1年生の時のビデオを見るの。俊輔、すごく可愛くて、
見てると、癒されるのよ^^」
(彼女の溺愛ぶりには、流石の私も勝てません・・・笑)
「確かに、あの頃は、皆、可愛かったよね^^」
俊母「あのビデオは、入学事前説明会に使われる為に、作られたものだけど、
撮影する日の案内とかは無かったよね。」
「無かったよ。いつの間にか、撮られてたよね」
俊母「あのビデオの亜沙美ちゃん、ピンクのティーアードのスカートに
ピンクのエナメルの靴を履いてたけど、貴女、
いつもあんな格好させて登校させてたの?」
「させてた・・・(汗)」
俊母「それに、ピンクのスヌーピーのランドセルだったよね。
確か、<養護学校ならどんなランドセルを持たせても、いじめられないから>って
言ってなかった?」
「そう言ってた・・・・」

それにしても、よく覚えていて下さいました^^
お陰で・・・思い出しました!可愛い下着を着せて行くと、
先生に見せていたことを・・・笑。S先生は、独身の男の先生でしたから、
「亜沙美ちゃんが、下着の絵柄を見せに来てくれるのですが、
ちょっと、困っています」って連絡帳に書いてありました・・・笑。
1年の連絡帳には、決して、楽しい事ばかり書いてあったわけではありません。
「機嫌が悪い」「不安なのか、すぐ泣く」「なかなか、寝ない」「朝食を食べない」
「給食を食べない」「拘り行動が目に付く」・・・等、悩みも満載でした。
学校生活になかなか慣れなかったのだと思います。
行事も全て、初めての経験でしたから無理もありませんけど。
今の亜沙美からしてみると、朝食や給食を食べない事が、
悩みだなんて信じられない話しですが、当時は、本当に食べなかったようです。
まぁ、訳が分からないまま、知らない場所に毎日行かされ、
意味の分からないことをさせられるのですから、
不安で食事も喉に通らなかったのでしょうね。私も、何か気になることがあると、
食欲がなくなりますから・・・。そういう点は、同じです。
今思うと、亜沙美の場合、食欲は、安定度と比例しているような気がします。
その頃、私は、連絡帳とは別に(気温・湿度・睡眠時間・体温・天気・安定度)の
記録を付けていました。多分、何が原因で不安定になるのかを調べようとしたのだと
思います。まぁ・・・結局、何も分かりませんでしたけど・・・笑。
それから、帰宅後は、毎日、散歩をしていました。
あまり歩くことが好きではなかったので、行き先を、遠くのスーパーにして、
そこで、何か一つオヤツを買うことにしました。亜沙美にすれば、
オヤツ欲しさですが、これは、小6迄続きました^^。
それから、散歩に関しては、主人が、頑張りました。
お休みの日は、亜沙美が歩きたい場所まで遠くても歩かせ、歩けなくなったら、
おんぶして帰って来ていました。(おんぶは、低学年のうちだけです・・・笑)
では、今日も連絡帳から抜粋。

<このところ、ウオークマンのヘッドホーンを胸に当てて、何かしています。
最初は、聴診器に見立てた、お医者さんごっこかと思ってたのですが、違いました。
ヘッドホーンを付ける時、ハンドクリームを塗っているのです。
どうも、先日の心電図の真似のようです>


<今日、ベランダから上靴を落としたことを知らせにきたので、
取りに行くように言いました。素直に一人で部屋を出たので、
後ろをそっと付けて行くと、階段を下り、社宅前の足洗い場で少し遊び、
上靴の落ちている中庭へ廻り、滑り台を2回して、上靴を取りに行きました。
でも、その後、シーソーで遊んでしまい、そこに置いたまま帰って来てしまいました。
「上靴は?」と聞くと、直ぐに部屋から出て行き、今度は、
手に上靴を持って帰って来ました。今日、初めて、一人で外に出しましたが、
どうにか帰って来れました>


<寝る前、ちょっと目を離したすきに、前髪と横の三つ編みの一つをバッサリ、
はさみで切っていました。今朝は、機嫌よく目覚めたのですが、
思い通りの髪型にならなくて、泣いていました>


・・・というようなことが、連絡帳に記載されていました^^。
こうして、安定した日、不安定だった日を繰り返しながら・・・一年目は、
あっと言う間に過ぎて行ったように思います。

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小学2年生

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この年の連絡帳を読み返してみると、随分慣れて、落ち着いた日が多くなったのが
分かりました。初めての事が苦手な亜沙美にとって、
1年間の経験は、安定に繫がったようです。
それから、この年もS先生が担任でしたし、クラスも持ち上がりでした^^。

~連絡帳から抜粋~
<最近、泣いていることが殆ど無く、何をしていたかなぁ・・・と考えないと、
思い出せないくらい安定して過ごしています>
<最近の亜沙美さんは、遊びの時、集団の中に居る事が多く、
以前のように一人離れて遊ぶ事が、減ってきています。>

<最近、亜沙美さんの笑顔が多くて嬉しいです。以前は、ちょっとしたことで、
情緒不安になって、メソメソしていましたが、最近は、思い出しても、
泣いていたのは、いつだったか・・・と思う程です>


・・・と書かれているのに目が付きました。嬉しい事です^^。
それでも、変化に弱い亜沙美は、音楽発表会、運動会、
学習発表会等の行事の前は、不安定になり、泣いたり、
こだわり行動が目に付いたように書かれていました。

絵は、幼稚園の頃から、隣町の絵画造形教室に月に2回通っていました。
(障害のある子供達が集まって、親子で活動していました。
講師は、養護学校で美術を教えた経験のある美術の先生でした。)
そこでは、毎回テーマがありましたが、亜沙美は、
自由気ままに過ごしていました^^。
学校でも、時間さえあれば、絵を描かせて頂いていたようです^^。

~連絡帳から抜粋~
<朝の会で絵を描いてもらったところ、「りんごがほしい、ねずみくん」の
絵を描いてくれました。びっくりしたと同時に、お話が、
頭の中に残っていたと思うと嬉しくなりました>


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<先日の絵が、校内読書絵コンクールに入賞し、全校朝会で表彰されました。>、

<昨日書いた、自分とお姉ちゃんの顔に鼻が付きました。最近は、眉も描き出し、
やっと人の顔らしくなりました。絵に関しては、全く指導したことがなく、
自由に家では、描いています>

<昨日は、絵画教室でした。亜沙美だけ、課題を無視して、手に絵の具を塗り、
手形を押して遊んでいました。ここでは、自由に、絵の具が使えるので、
来るのが楽しみなようです>


それから、この頃から、気に入った洋服しか着なくなったようです・・・汗。
それも、ピンク病です(以前、むちむちさんが、ブログに書いていた、
ピンク教に入信したのです・・・笑)

~連絡帳から抜粋~
<朝は、いつも学校での着替えが楽なように、
ボタンの少ない上着とキュロットを用意しておくのですが、
「イヤ!」と言って、タンスから自分の着たい服を出して着てしまします。
今は、特にピンクがお気に入りのようで、「ピンク・スカート」と言います。
「パンツが見えて、恥ずかしいからキュロットにしようね」と言うのですが、
恥ずかしいという意味が分からないので、困っています。
ピンクのキュロットなら履くと思いますので、
早速、用意します。今日は、仕方がないので、
スカートの下にオーバーパンツを履かせて登校させます>


・・・と、いうような2年目でした。1年生と同様に、
安定した日と不安定な日の繰返しですが、不安定な日は、1年生の頃に比べて、
ぐっと少なくなり、少しは、学校生活にも慣れて来たようでした。

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小学3年生

1107

この学年は、I先生という元気いっぱいの女の先生でした^^
冬になっても半袖で授業をされていた記憶があります。
この学年の連絡帳を読み返してみると、先生からの記載に、
(機嫌が悪い)という記載があまり無いことに気付きました。
それから、給食もよく食べ、好きな献立の時は、先生のや、休んだ人のを
欲しがったりしたようです^^
散歩は、しっかり身に付き、冬の間もしっかりしていたようですが、
それでも疲れず、寝つきの悪さについて悩んでいたことが書かれています。
それから、耳塞ぎが頻繁になったようです。

~連絡帳から抜粋~
<昨日は、前の2年生の下駄箱の方に行ったり、教室に入ろうとしていましたが、
今日は、下駄箱も教室も間違えませんでした>
・・・直ぐに慣れたようです^^

<洋服への拘りがあります。最近は、上は、白しか着ません。
下は、ピンクか花柄です>

<今日も、2時間、散歩をしました。
信号が赤だと「信号・赤」と言って立ち止まります。
車が来ると、私の手を捕まえます。
散歩を始めた当時に比べると随分、楽になりました。>

<昨日は、会社から帰って来た主人と6時半頃から散歩に出掛けて
8時頃帰って来ました。何度も帰るように言ったのですが、
どんどん歩いて行ったそうです。でも、疲れてないのか、
昨晩も寝つきが悪く、今朝は、あくびばかりしています。>

<朝の会で風船をふくらますことをしました。
なんと、ちゃんとふくらませたのは、亜沙美ちゃんだけでした>

<このところ、耳塞ぎが頻繁に見られます。
バスに乗るとき、乗ってからもずっとしているようです>

<先生方のお陰で、楽しく、運動会に参加出来ました。
昨年に比べて、開会式も閉会式も機嫌よく立っていることが出来たようです。
徒競走は、(走る)という意味が理解できてない分、
競争にはなりませんでしたが、(ボールを運ぼう)は、ちゃんと走りぬきました>

<私は、例年、年内は、半袖で過ごしています。
子供達に無理強いするつもりはありませんが、出来れば、
薄着で過ごしたいと思っています。寒い日は、上着を着せますので、
半袖を基本にしてはどうでしょうか?
部屋の中は、暖かいですから、心配はいりません>

<最近、アルファベットに興味があるようです。
(Y・・・ワイ)(P・・・ピー)と散歩中に
目にするアルファベットを指差ししながら言います>


今日、担任だった、I先生に用があり、電話で話をしました。
その時「連絡帳を読み返して見たのだけど、(大変だ!)みたいな事が
書かれてないのだけど、3年の時っていい子だったのですか?
何か思い出す事、ないですか?」
と聞くと、「特に大変だった記憶はないですよ。そういえば、
S郎先生が、大好きで、いつも横にいましたよ。」
・・・納得しました^^。亜沙美は、若くて優しいS郎先生が大好きで、
機嫌が良かったんだ・・・うふっ^^

この年から、先輩お母さん達と「作業所を作ろう!」という目的で
サークルを作り、作業所の見学や、授産施設のボランティア、
資金作りのためのフリーマーケット参加等をしましたが、
たった2年で自然消滅しました・・・汗。

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4年生

1109

この年、受け持って下さったのは、K先生という、若くて、
とても真面目な先生でした。本来なら、3年の時のI先生が
持ち上がりのはずでしたが、事情があり、I先生は、退職されました。
その上、転入生が入って来た事で、クラスは3クラスとなり、
3年で慣れたクラスはバラバラになりました。
また全てが、やり直しです。それに加え、4年から、介助の先生が減りました。
それだけが原因ではないと思うのですが、亜沙美は、この年、大きく崩れました。
K先生も必死で頑張って下さいましたし、私達親も安定した毎日を送らせるため
努力をしました。

~連絡帳からの抜粋~
<朝から、よく泣いています。昨年に比べて、手を掛けれなくなった
こともありますが、これと言った、決定的なものが見当たりません。
低学年のように優しい言葉掛けばかりではいけないとおもいますし・・・。
あまり焦らずに・・・と思っています>


<何が原因なのか分かりませんが、あまりに昨年、
安定していたので・・・考えてしまいます。散歩中は、機嫌がいいのですが、
家の中だと、靴下や下着を何度も取替えたりして、こだわり行動が目に付きます>


<不安定だと、いろいろな事に拘ります。トイレ・手洗い・
着替え・・・安定している時は、すんなりいく動作も全て拘っています>


<学校では、毎日、亜沙美ちゃんの様子を見ながら、手を変え品を変えて、
色々と対応を考えています。ホルモンのバランスが崩れている・・・という
ようなことだと対応が難しいですが、それ以外であれば、
何とか、原因を見つけて対応したいと思っています>


<コロニーに行ってきました。O先生は、家庭においては、なるべく受け入れて、
安定出来ることを最優先しなさいと、指導を受けました>

<眼科の受診が終了しました。検眼も出来るようになり、
視力は、1・0だそうです。今日から、眼鏡の必要は無くなりました>


<引越しをして、不安定にならないか・・・と心配していましたが、
取り越し苦労だったようですね。最近、どうしたら・・・と思うことも少なくなり、
随分皆と活動できるようになりました。峠は、越えたのかなぁ・・・と感じています>


<記事のコピー、ありがとうございました。コロニーのO先生から
「睡眠時間のことは、あまり気にしなくても、眠れない日があっても、
その分を取り戻して眠る日もありますし、4時間寝れば、充分です」
と言われて、気が楽になり、それからは、亜沙美が寝た時間が
気にならなくなりました。頂いた、記事を読むにつれ、
自閉症の複雑さを益々感じました>


<今日は、学校でも調子が良く、生活タイムも楽しく参加出来ましたし、
5時限の掃除もよくやっていました。このような日が続くと、
もっともっと亜沙美ちゃんの力を伸ばしていけるのに・・・と思います。
1学期のことを思うと、3学期は、本当に落ち着いてきました>

<1年間、ありがとうございました。不安定な1年を一緒に乗り越えて頂き、
感謝しています。少しずつ心が通い始めて、これから・・・というのに残念です。
素敵な女性になるのを楽しみにしています>


・・・というメッセージで、この連絡帳は終わりました。
確か、4年生と5年生の始めの頃は、不安定だったような気がするなぁ・・・って
思っていましたが、読み返してみて、当時、大変だったことが
毎日のように書かれていました。
過ぎ去ると、悪い時のことは、あまり記憶に残らないようです・・・汗。
本当に、K先生には、ご迷惑をお掛けしました。
とても一生懸命な先生で、毎日工夫に富んだ宿題を出して下さいましたし、
為になる書物をコピーして下さって、感謝しています^^
そして、このHPができた当初から、見続けて下さった、
あみあみファンの一人なのです^^
今、思うと、先生や私達親は、振り回されて大変でしたが、
何より一番大変だったのは、亜沙美自身だったのではないかと思います。

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余談~<家>

1110

当時、私達は、主人の会社の社宅に住んでいました。
社宅は、かなりマンモスで、A~G迄あり、約、700人ぐらいが住んでいたように
思います。各棟の前には、滑り台などの遊具があり、
亜沙美は、いつもそこで遊んでいました。
ある日、他の子のお母さんと遊ばせながら、話しをしていたら・・・
居なくなりました(汗)。直ぐに其処にいた人達が、探し回ってくれましたが、
いくら近くを探しても見あたりません。
同じような建物が7棟もあるのですから、迷い込まれたら、探しようがありません。
そうこうしていたら、「亜沙美ちゃん、家でオヤツを食べているよ~」
と4階に住む知人が窓から顔を出して、教えてくれました。
優しい人のことは、ちゃ~んと分かっていて、勝手にお邪魔です^^。
知らない人の所には、行きませんでしたから、助かりましたけど・・・。
(幼稚園の頃の話しです)
亜沙美のことは、みんな、親切にして下さって、社宅住まいも
悪くはなかったのですが、成長するに従って、段々、窮屈になってきました。
2階だというのに、ドンドンと音を立てて飛びますし・・・汗。
ベランダで、水遊びをしますし・・・汗。
丁度、その頃、広報に区画整理地の売り出しが掲載されていたのを目にし、
応募しました。(4年生になる年の春でした)
そして、抽選の日、亜沙美と二人で抽選場に行き、亜沙美が、クジを引きました。
見事、当選です^^。こういうくじ運は、強いのです^^。
欲がありませんから・・・。
そして、建てた家を 亜沙美は、誰よりも喜びました^^。
飛び跳ねても、大声を出しても、文句を言われなくてすみますから・・・笑
そして、入居した日、ダイニングテーブルの一番いい席に座りました^^
そして、その日以来、そこが亜沙美の指定席です・・・(笑)

4年生の前半、私は、家のことで走り回っていました。
亜沙美のことは、充分、気にしていたと思いますが、
やはりどこか、気が回らなかったのかもしれません。
それから、管理人の高校受験を控えた年でもありました。
でも、こちらは、関係ないように思います。
受験生がいるピリピリした雰囲気はありませんでした・・・笑
管理人、「今の成績で入れる高校でいい!」と言って、
受験する高校を決め、塾にも行かず、家でも勉強はしませんでした。
決して、無理はしない子なのです・・・汗。
・・・ということで、やっぱり色々あった、1996年だったのです。

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5年生

1111

5年生は、A先生というベテランの女の先生が担任を、W先生という新任の先生が
介助をして下さいました。亜沙美は、4年生の終わり頃、少し安定し始めたものの、
5年生の新学期、また不安定になりました。やっと慣れた先生もクラスもバラバラ、
教室も下駄箱の位置も変わり、亜沙美の心は、
また不安でいっぱいになったのだと思います。
始業式が終わったとき、緊張が解けたのか、パニックになったのです。
今まで、不安定だとはいえ、家では、パニックというものは
起こしたことが無かったので、側に居て、驚きました。
これから先、どうなるのだろうか?と、流石に、その時ばかりは、
私の方が不安になりました。
でも、A先生は、亜沙美を暖かく見守り、じっくり付き合って下さいました。
そして、1年間で、随分、落ち着きを取り戻すことが出来たのです。

~連絡帳からの抜粋~
<初日からご迷惑をお掛けしてすみませんでした。今年も始業式から、
この調子では・・・と考えさせられてしまいます。
少しでも先生方や他のお子さん達の迷惑にならないように、
安定させて登校させるように努力致しますので、宜しくお願いします>


<亜沙美ちゃんのやりたい事、見たい物、行きたい所等、ある程度受け入れながら、
過ごしています。皆と一緒の事が出来る事も必要ですが、
今は、その事にあまりとらわれず、亜沙美ちゃんの気持ちを尊重しています。
そして、ちょっとは、こっちのいう事も聞いてよ・・・と誘いながら、
気長に見て行きますね>


<今日は、「チャイムが鳴ったら、帰っておいでね」と言って、
好きなところに行かせました。チャイムが鳴っても帰って来なかったので、
呼びに行き、「チャイムが鳴ったよ」と言うと、素直に帰って来れました。
亜沙美ちゃんには、充分言って聞かせ、自分で納得して動けるように
対応していきたいと思っています>

<今、亜沙美ちゃんの息抜きの場所は、教育の森です。
「亜沙美ちゃん、チャイムが鳴ったよ」と、声を掛けると、ある時は、ミミズ。
ある時は、ナメクジを持って教室に戻って来ます>

<今日で給食は、終わりです。過ぎてしまえば、一学期は、早いものでした。
亜沙美ちゃんの気持ちが段々と分かってくると、私の気持ちも亜沙美ちゃんが、
酌んでくれるようになり、そのへんの駆け引きが面白く、
楽しく毎日が過ごせました。お気に入りの場所、
教育の森で遊んでいる亜沙美ちゃんに、高等部、中学部棟へ行く先生が
声を掛けて下さり、すっかり名が知れ渡ってますよ>


<一学期間、ご迷惑を沢山お掛けして、本当にすみませんでした。
家庭においては、随分安定してきました。去年は、「やすみ?」と、
よく聞かれて困りましたが、最近は、全く言わなくなりました。
二学期も宜しくお願い致します>

<太ることは、心配なのですが、食欲があるということは、
安定している証拠なので嬉しいです。去年は、横に付いて、
食べるように促したりしていましたが、今は、放っておいても
食べてくれるので助かります>


<最近は、叱られて泣いても、尾を引く事もなく、
暫くするとあっけらかんとしています。さらにご機嫌を取るかのように
まとわり付いたり、顔を覗き込んだり・・・本当に可愛い子です>


<家では、安定しているので、こちらが少々厳しく指示しても、
怒ることもなく指示が聞けます。
「自分の意思が言える子に育てなさい」とよく言われますが、
これ程、ちゃんと自分の要求が言える子もいないと思います。
ただ、こちらの要求をあまり聞いてくれません。困ったものです。>


<亜沙美ちゃんは、低学年の頃、だいぶ気を張っていて、それが去年爆発して、
今年、除じょに治まっていったのかもしれませんね>

<亜沙美ちゃんが、学校のペースに合わせるのではなく、
学校が亜沙美ちゃんのペースに合わせる。そういった事が可能なのが、
養護学校のはずなのですが、なかなか全ての子供、
一人一人の子供までにということになると難しいところがあります。
でも、亜沙美ちゃんの気持ちにそった対応をするように心がけています>


<亜沙美一人でも、大変なのに、5人もなんて考えただけでも、
大変なことは分かります。先生に、色々と対応を考えて頂くだけで、充分です。
どうもありがとうございます>


<学校でも安定していて、相変わらず、スローペースながら、やることは、
やってくれています。これが、亜沙美ちゃんだと思えば、
じっくり見ていられますし、時間が迫れば、強行することにしています。
それまでは、亜沙美ちゃんのペースで・・・などと思っていると、
時間を見計らってやっているようなところ有りで、本当に賢い子です>


<今日も、バスからニコニコで降りて来て、楽しそうに道草をしながら
歩いて帰りました。帰宅後も安定して過ごせました。
夜、笑顔で先生の名前を鏡に向かって繰返し、言っていました。


<この一年、休日を含め、毎日毎日、丁寧に連絡帳を書いて頂き、
本当に嬉しく思っています。
朝、連絡帳を開くのが楽しみでした。ありがとうございました>


相変わらず、マイペースで、行事になると、不安定になったりもしましたが、
初めてのお泊まりキャンプにも参加出来、随分安定してきた一年間でした^^。
これも、A先生のお陰だと、心から感謝しています。
それから、新任で、お忙しい中、W先生には、
いつも優しく接して頂いてありがとうございました。

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余談(療育相談)

1112

幼児期は、些細なことでも気になり、コロニーのO先生の診察を受けていました。
ある診察日、診察室から出てきた、障害の男の子が、直ぐに、
手をロープで括られるのを見ました。その子のお母さんは、
冬だというのに汗だらだらで、抵抗する子を引きずるようにして帰って行かれました。
その時は、驚きと同時に、切ない気持ちでいっぱいになったことを覚えています。
それから、養護学校に通うようになり、思春期を向かえたある男の子の
お母さんから、やはり大変で、ロープで括るしかないのよ・・・と涙ながらに
話されるのを見ました。我が子の手をロープで括らないといけないなんて、
何て辛い事だろうと、泣きながら、話しを聞いたことがあります。
(すみません。暗い話しで・・・)
亜沙美は、学校に行くようになり、コロニーの診察の回数も減っていきました。
でも、4年生で、不安定になり、またO先生の診察を受けるようになりました。
何を聞き、どんな回答を頂いたのか、記憶になかったのですが、
5年生の連絡帳に書いていたのが見つかりました。
もう、10年も前の指導です。今みたいに(広汎性発達障害の自閉傾向)とか、
(自閉症スペクトラム)のような言葉が使われていない時代のことですから、
お役に立たないかもしれませんが、記載しておきます。
「こんなの、古い!」なんて、突っ込まないで下さいね^^

☆コロニーのO先生とのやりとり
私「学校を嫌がるのは、家で好き放題させて、甘やかしているからでしょうか?」
先生「家は、亜沙美さんにとって、楽しく安定した場所にしてあげてください。
学校から帰ったら、楽しい家での生活がある・・・と思えば、
嫌でもそれなりに頑張れるものです。(明日も頑張って学校に行こう!)という
気にさせる家であって下さい。それから、学校は、休ませないようにして下さい」

私「機嫌が悪くなり、こだわりで2階へ上がり、降りる時は、
おんぶして欲しいと言いますそこで、断ると、益々機嫌が悪くなります。
亜沙美の思うようにしてやると、我が儘になるのではないかと迷います」

先生「おんぶができるのなら、してあげて下さい。それは、我が儘とは違います。
とにかく、今は、受け入れてあげて安定させるようにしましょう」


☆最近の不安定な様子をレポート用紙に書いて出したときのお話し。
先生「自閉症児(者)は、ただ普通に生活するだけでも、本人にとっては、
とても苦痛で、大変な事です。まして、指示されたり、規制されたりすることは、
凄いストレスになります。
安定していたり、不安定だったりするのは、ほんの些細な事が原因だったりします。
(これは、最後のO先生のお話しに関係します)
突然起こるパニック・・・これは、前の事を思い出して怒るという事が多いです。
それが、昨日のことなのか、一年前のことか、それともずっと前のことか
分かりませんが、凄く鮮明に思い出されてきて、怒れてくるのです。
パニックが起きた時は、暖かく見守ってあげる・・・この時の対応で、
益々エスカレートしてしまうことがあります。様子をよく見て、対応して下さい。」

☆O先生のお話し
ある動物園で、園が閉園になると檻に入る動物がいるのですが、
その日は、なかなか檻に入ってくれません。
水をかければ、入る事は分かっているのですが、
そういうことをして無理強いはしたくありません。
そのうち、もう一人の飼育係りの人が入ってきたら、
その動物は、素直に檻に入りました。
何故か・・・。
それは、もう一人の飼育係りの人が、入ってくる時に、
扉が大きく開いたからなのです。最初の飼育係りの人が入って来た時の
扉の開き方は、いつもより狭かったから入らなかった。
ほんの少しの扉の開き方の違いです。そういうことが自閉症にも言えます。
こちらは、いつも通りと思っていても、微妙に違ってたりすると、そこに拘るのです。
(話しを聞いた時は、よく分かったのですが、文字にするのは、難しいですね。
お分かり頂けましたでしょうか?)

亜沙美が自閉症だと分かった時、随分、本を買い求め勉強して、
ある程度理解しているつもりでしたが、本当は全く理解していなかったように
思います。そして、4年生で不安定になり、先生のお話しを聞き、
やっと分かったような気がしました。
自分に降りかからないと、本当の意味での理解は出来ないものですね。

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余談(地域支援センターらいふ)

1114_1

多分、5年生の授業参観の後のランチの時だったと思います。
いつものように仲の良い5人のお母さんと、ランチをしていた時、
「ねぇ、今度、山田優さんが、レスパイトを始めるの、知ってる?」
と、いつも情報をくれる俊ちゃんのお母さんが言い出したのです。
私が、「今度、T市でもその説明会があるみたいなのだけど、
夜だから、出れないかも。そのレスパイトって何?」って、
聞き返したように思います。
<レスパイトは、昼夜問わず預かってくれて、スタッフがマンツーマンで、
介助してくれる。年会費の他に預ける時にレスパイト料金が必要である。
送迎費さえだせば、送迎もしてくれる。今回は、50名定員である。>
・・・のような事を、彼女は説明してくれたように記憶しています。


私達夫婦は、山口に実家があり、主人の方は、
あまり亜沙美と関わったことが無くて、
何かあった時、頼める状態ではありませんでした。
私の実家は、年に何回も帰省していましたので、亜沙美を見る事は出来ても、
姉は、酒屋を切り盛りしていましたし、兄は、市議会の仕事が忙しく、
とても頼めませんでした。
(でも、姉は、帰省すると、お店が大好きで、お店に入り浸っている
亜沙美の面倒をよく見てくれましたし、兄は、仕事柄
、顔を出さないといけない町内のお祭りなんかには、亜沙美を連れて
行ってくれていました。二人とも、亜沙美の事には、
とても気を使ってくれて、周りに隠す・・・ということは、絶対しませんでした。
そんな事は、当たり前のようにも思えますが、この当たり前が、
なかなか出来ないものではないかと思います。当時、兄は、独身でしたが、
結婚する時、「妹には、障害の子供がいて、学校の休みは、
休み中実家に入り浸っているけど、それでもいいか」と相手の人に言ったそうで
す。相手の人も奇特な人で、そのことは、即、了解したそうです。
私は、亜沙美を育てる事に関しては、大変でしたが、
私を取り巻く人には、恵まれていたと、つくづく思います)


話を戻します。
私は、この俊ちゃんのお母さんの話を聞き、直ぐに登録しました。
俊ちゃんのお母さんの話しによると、「山田さんは、お金を出してまで、
預ける人なんているかなぁ」と始める前に心配しておられたそうです。
ところが、T市の後のA町の説明会の時点では、すでに登録者は、
定員に達していたそうですから、このサービスをいかにお母さん方が
望んでおられたがわかります。当時、上の子は、高校生でしたから、
上の子の用事で亜沙美を預ける必要はありませんでした。
ただ、上の子が、小学生の頃にこのサービスが始まっていたら、
午後の学校行事に参加してやれたのに・・・と、その時は残念に思いました。
(だいたいが、キャンプや修学旅行の説明会は午後の授業参観の後にありますが、
亜沙美の帰宅と重なって、全く参加してあげることが出来なかったのです。
そのことは、本当に可哀想なことをしたなぁ・・・今も思います。)
レスパイトの登録を済ませたものの、私は、何故か病気知らず・・・。
取り敢えず、一日頼んだものの、家で帰宅をソワソワただ待つばかり・・・笑。
これでは、いけないと、次回からは、上の子と外出することに・・・。
何処に行くのも亜沙美と一緒で、機嫌が悪くなったら、
即帰宅・・・ということに慣れていて、それでどうにかなっていたのですが、
居ないと、楽!(ごめんね、亜沙美ちゃん)
その日は、上の子と思う存分、買い物が出来ました。
亜沙美にしても、好きでもない買い物に連れまわされるより、
優しいスタッフの方とお出掛けしたほうが楽しい様子。
「らいふ、行こう!」ってよく口にしますから・・・^^
その後もらいふにお願いしては、上の子サービスは、続いています・・・汗。
旅行・観劇・コンサート・・・と行かせて頂きました^^
お陰で、本当に仲の良い親子になりました^^
(仲が良すぎて、嫁に行きたがりません・・・苦笑)
それから、らいふのスタッフの方達で支援されているアンダンテ(絵画教室)
にも開所当初からお世話になっていて、フロール展に出展して頂いた作品は、
2度とも展示されました^^

何より、<何かあっても、らいふがあるから>
・・・という思いは、私の気持ちを楽にさせてくれます^^

その後、今、亜沙美が日中活動でお世話になっている
アートスクウェア(むそう)の前身である
ふわりがレスパイトサービスを始められました。
理事長である戸枝さんが、苦労して身銭を切ってまでして
始められたサービスです。私達の生活は、
このような暖かい人達によって助けられているのだと思います。
本当に感謝しないと・・・。

スタッフ・サポータの皆さん、ありがとうございます。
どうぞ、これからも宜しくお願いします。

☆お知らせ
1114_2

※クリックで拡大
亜沙美がお世話になった世真留愛敬幼稚園で、卒園生の保護者主催の
チャリティーコンサートがあります。
お近くの方がおられましたら、是非お越し下さい♪

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6年生

1115

ついに、小学部最後の一年になりました。
この年も、担任はA先生。クラスも変わりませんでした。
連絡帳を読み返してみて気付いたことは、私の方の記載に、
「不安定で困っています」という記載がほとんど無いということです。
ただ、「食べ過ぎて、困ります」という記載は、ありましたが・・・汗。
学校でも、行事の前後以外は、安定して過ごしていたようです。
そして、大イベントの修学旅行も何事もなく行きことが出来、
学習発表会も頑張れました^^。

~連絡帳からの抜粋~
母<本当に安定した毎日です。急に怒ったり、泣いたりすることが殆どありません。
安定しているせいか、朝食も夕食も凄い食欲です。
朝から、こんなに食べて・・・と思う程食べ、さっさと着替えて、
玄関に出て行きます。お陰で、私は、側でゆっくり新聞を読んでいます>


先生<今日、教室で一人、お茶を飲んでいるのを発見。
「もう、亜沙美ちゃんだけ、お茶、飲んで・・・」というと、
お茶の入ったコップを差し出してくれるのです。
もう、怒れなくなります。可愛いですよね>


母<今朝、起きて、鏡を覗き込み、前髪がとんでいることが分かると、
水を付けて、押さえている姿に唖然としました>


先生<凄い!私は、寝癖のついたままで、登校することも、
しばしばですのに・・・>


母<最近は、注意しても、自分が悪いと、怒らず、素直です。
こちらの指示も機嫌を悪くせず、従ってくれることが多くなりました。
本当に安定しています。学校と家の二つの場所が居心地、いいのでしょう。>


先生<学校でも、やるべき事は、さっさと(亜沙美ちゃんペースですけど)
行います。「あれ、亜沙美ちゃんが、いない?」と探すと、トイレです。
帰りのバスもさっさと乗れることが多いです。亜沙美ちゃんなりに、
学校生活の見通しが持て、エンジョイしているように思います>

先生<本当に早いですね。この一学期は、子供のことも分かって、
子供達も私のことが分かって、充実して過ごせたと思います。
これといった、指導などしていないのですが、お互い、
気持ちが通い合っているのがいいんですね>

先生<今朝、バスに乗り、亜沙美ちゃんのけなげに我慢している姿に感激!
隣のY君が亜沙美ちゃんの肩や膝に体をあずけてくるのに、そのまま。
バスの添乗員さんが、「Y君が、亜沙美ちゃんの膝枕で寝ていても、亜沙美ちゃん、
我慢してくれてます」と言ってました。ストレスにならないかなぁ・・・心配です>

先生<修学旅行の練習で、俊君と手つなぎをしています。煩いのが苦手な二人、
気が合うのか、二人でさっさと歩き、皆より先に行ってしまうほどです。>

先生<あっという間の二学期でしたが、亜沙美ちゃん、色んなところで、
光ってました。(まぁ、今までが、今までだけに・・・ハハハ・・・)
本当にいい子でした。自分の気持ちのコントロールが短時間で
つくようになったと思います>


母<今日は、ありがとうございました。久々、耳塞ぎをすることなく、
笑顔で安定して舞台に立つ事が出来ました。先生方のご指導を心から感謝しています>

母<小学部最後の連絡帳となりました。6年間、よく書きました。
この2年間は、特に・・・です。扱いにくい亜沙美を理解して頂き、
ご指導して下さって・・・お陰様で、安定した毎日を過ごせるようになりました。
本当にありがとうございました。どうぞ、中学部に進学しても宜しくお願いします>


先生<これからは、担任をはずれて、ご近所同士のお付き合いが出来るかと・・・
楽しみにしています。>

 
この年の連絡帳は、楽しい出来事が満載で、
とても楽しく読み返す事ができました^^そして、終わりに近づいたページに
書かれた先生の記載に目が行きました。

<昨日の帰り、4年生の時の副担だったI先生が、亜沙美ちゃんに、
「私は、誰でしょう?」と聞いたら、「○○○」「やさしい」と私の名前を言った後に、
優しい、って何度も言ってくれたの・・・と嬉しそうに話して下さいました。
こういう一言が、私達を励ましてくれるんです>


そうでした。4年生の時は、I先生にもお世話になったのです。
1年の時は、Y先生(今も、ゆ○○せんせいと口にしています)、3年の時は、
M先生、1年の時の2組のO先生と2年の時の副担のH先生は、
5・6年で同学年の先生ということで、お世話になりました。
その他にも、沢山の先生に関わって頂いて、亜沙美の6年間は過ぎたのです。
本当にありがとうございました^^
それにしても、6年間、色々あったのだなぁ・・・と連絡帳を読み返し、
今更ながら、感慨深いものがありました。


☆昨日のブログの山田優氏について何も説明しなくてすみませんでした。
きっと、誰だろう?・・・と思われた方もおられましたよね。
山田優氏は、私達が住む市町では、(多分全国的にも)福祉にかけては、
とても有名な方なのです。レスパイトサービスを始めた、
地域支援センターらいふの所長を務めた後、今は、
長野県で西駒郷地域生活センター長、長野県社会福祉事業団理事をされ、
活躍されています。(入所施設の人達を地域で生活する仕事をされています)

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余談(とくなが先生)

1117

今朝も、起きると、開口一番「とくなが、会いたい!」です。
(呼び捨てで、すみません)
そう、亜沙美が19年生きてきて、一番好きな人なのです^^
もしかして、私より・・・。
ですから、「とくなが先生と、お母さんのどっちが好き?」なんて、
恐くて聞けません。とくなが先生は、6年の時の所属の女の先生でした。
<4年生から、学年に2名の所属の先生がおられます
(副担と言うのかもしれません)>
亜沙美の調子が悪い時、移動に手間取る時・・・いつも、寄り添い、
手助けして下さった先生です。
いつの頃からか、亜沙美は、この先生が、大好きになりました^^
確か、運動会のお昼休憩の時だったと思います。
空き教室で、お弁当を食べていたら、とくなが先生が顔を出されたのです。
当然、亜沙美は大喜び^^。そして、亜沙美は、何をしたと思いますか?
バックから、大事なおやつを取り出すと、先生にあげたのです。
信じられない光景でした。私が「一つ頂戴」といくら頼んでも
くれなかったお菓子を、何も言わない先生に自分から進んであげたのです。
もう、びっくりです。大好きな人には、大切な物をあげたい・・・
そんな気持ちが育っていたとは・・・。
6年生の行事の写真は、いつも隣に、とくなが先生が写っています^^
そして、それを毎日眺めている亜沙美です^^
中学部に行くと、棟が違うので、先生に会う機会が少なくなりました。
唯一会えるのは食堂だったようです。
そうなると、給食を凄い速さで食べ終え、
先生の後ろにそっと立っていたそうです。まるで、ストーカーです・・・笑。
でも、その次の年、先生は、少し遠い学校に転勤されました。
その日以来、亜沙美は、「とくなが、会いたい!」と言い始めました。
毎日、何十回も言います。ですから、引越し先まで会いに行った事もあります。
それは、それは、とても喜びました^^
それから、転勤された年、学校行事の時、先生が遊びに来られたことがあります。
その姿を見た亜沙美は、先生の元へ凄いスピードで走りより、抱きつきました^^
本当に好きなんだなぁ・・・と微笑ましく、側で見ていた記憶があります。
亜沙美の定位置のダイニングテーブルのビニールクロスの下には、
笑顔のとくなが先生の写真がいっぱい入っています。
先生が、亜沙美だけに下さる特製顔写真入り年賀状です。
(Y先生から頂いた、顔写真入のハガキも入れていますよ。
顔写真の入った年賀状は、嬉しいようです。
誰からきたかが、分かりますから・・・。
是非、他の先生も顔写真入りでお願いします^^)
今日も、お迎えの帰りの車の中で、「とくなが、会いたい!」と連呼していた
亜沙美です。ただ今先生は、お子さんの子育てに奮闘中のようです^^
また、会いに行きますね、とくなが先生♪

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中学部1年生

1119

小学校を卒業する頃には、かなり落ち着いていた亜沙美ですが、
中学部は、同じ敷地内というものの、棟が違い、入口も変わってきます。
特殊の小学校から転入してきた生徒もいるので、生徒数も増える為、
当然、クラス替えもあり、クラスも増えます。
授業も作業の時間や勉強の時間が増えてくるので
また、不安定になるのではないかと、随分心配したように思います。
でも、連絡帳を読み返してみると、そんな心配をよそに、
学校では、行事以外は、大して不安定にもならず、
家でも、かなり落ち着いた生活をしていたようです^^
中学部は、小学部と違い、担任の先生が始終一緒というわけではありませんが、
担任のN先生は、自分と関わった時間については、連絡帳に、
こと細かく書いて下さっていました^^また、亜沙美は、小6で、
生理が始まりましたが、そういう事は、
副担の女性のO先生が見て下さったようです。
作業は、半期が缶つぶし、後期が、平織り作業でした。
どちらの作業も楽しんでやっていたようで、おみやげに持ち帰った
平織りマットは、朽ちるまでダイニングチエアーのマットに使っていました。
(記念写真を撮っておくべきでした・・・)
また、この年の夏休みに書いて提出した、夏休みの思い出の絵は、
N先生が杉本美術館のコンクールに応募して下さり、
入賞することが出来ました^^
そして、授賞式には、N先生も駆けつけてくださり、
杉本画伯と亜沙美のツーショットの写真を撮って下さいました。
(杉本画伯は、お亡くなりになりましたので、かなり貴重な写真です)
それから、この年から、市内の同級生のお母さん達数人で、
市内の授産所のボランティアに行くようになりました。
亜沙美の住むT市は、授産所と更生施設があり、卒業後は、
どちらかに通所出来、行く所が無いという状況ではありませんでした。
ですから、この時点では、どちらかに通所させるつもりで、
どちらが亜沙美に適しているかを見極める為のボランティアでした。
ボランティアの日は、授産生と一緒の時間に行き、
作業も食事も一緒にさせて頂きました。
一日居ると、スタッフの方のご苦労や大変さが良く分かり、
亜沙美が通所するようになったら、
文句なんて、とても言えないなぁ・・・と思ったものです。
このボランティアは、高3迄続け、本当に勉強になりました。

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中学部2年生

1121_1

2年生に進級した、亜沙美は、かよ先生という優しい先生に受け持って頂きました。
連絡帳には、先生が関わった時の様子を全て書いて下さっていた上、
学期毎に大まかな様子を書き記して下さっていましたので、
全体はざっと読み返すだけで済みました^^
この年も、これといった事件も無く1年間が過ぎたようです。
この年の実習は、前期が、窯業。後期が、農業でした。
どちらも授業参観があったと思うのですが、農業の方は、よく覚えています。
その日は、参観する私達も寒く、コートを着て、畑に立っていました。
そうすると、亜沙美は、さっと私達父兄の間に立ち、一緒に参観しているのです。
皆は、大根を引いて、水で洗っているというのに・・・。
私の横で風を避けながら、サボりです・・・汗。
その後、仕方なく、大根をひく振り?をしていましたけど・・・苦笑。
参観が終わって、「大根は、お母さん方で持ち帰って下さい」と先生から
お声が掛かりましたが、居合わせたお母さん方から、
「亜沙美ちゃんところは、一番小さい大根ねっ」
と言われたことも、記憶にはっきりあります・・・笑。

~自慢話しです・・・^^~
実は、この年の夏の絵コンクールも入賞しました。
いわゆる、2年連続です^^
この年の授賞式が傑作でした。
2回目ということもあって、亜沙美も私達家族もリラックスしていていました。
亜沙美は、いつものように、(おえかきせんせい)を持参し、
待ち時間の間中、絵を描いていました。
ところが、授賞式が始まっても、絵を描くのを止めません。
結局、(おえかきせんせい)に絵を描きながら杉本画伯の前に出て、
賞状を貰う時は、手を休めて、片手で賞状を受け取る始末です・・・汗。
(証拠写真があるのですが、勝手に杉本画伯の写真を載せていいものかどうか
分からなくて・・・)
主催者側から、「亜沙美さんは、昨年に続いて、2年連続の快挙です」と
いう説明があり、居合わせた皆さんから、沢山の拍手を頂きました。
そして、杉本画伯は、(おえかきせんせい)に描いていた、
かまきりの絵を見て下さり、「上手だねぇ」と褒めて下さいました^^
1年目は、(健常児に混じっての受賞というこもあり)、かなり緊張しましたが、
この年は、開き直っていました(私が・・・です)。
そうしたら・・・こんな受賞式になってしましました・・・汗。
絵は、立派な額に入れられ、戻って来て、今は、亜沙美のアトリエ
(単なる、遊び場です)に飾ってあります。
そして、その時頂いた、杉本画伯のサイン入り、画集は、家宝です。
副賞の商品券は、使ってしましましたけど・・・。(5000円でした^^)

1121_2

そして、この年は、アンダンテ(らいふの絵画教室)では、初めてのグループ展が、
ひかりのさとファームで行われ、招待状は、亜沙美の絵を使って貰えました^^
グループ展には、かよ先生を始め、沢山の先生やお友達が来て下さって、
盛り上がったことを覚えています。
その上、幸運続きに、アンダンテから、フローラル展に応募した作品も
選抜展示されるといういい事尽くめの一年だったようです^^

~お知らせ~
ブログで知りあった方が、紹介されていた募金運動に、私も賛同しましたので、
よろしかったらご協力下さい。詳しくは、左上のバナーをクリックして下さい。

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中学部3年

1123

ついに義務教育最後の年になります。
中学三年間というのは、本当に早いもので、
連絡帳の所々に「もう、三年生になってしましました・・・」
とか「あっという間の三年間でした」という記載が目に付きました。
この年は、ベテランのF先生が受け持って下さいました。
学校に通学し始めて、もう、9年目になるのですから、
流石に、学校生活にも慣れたのでしょう。
毎日、楽しく通学が出来、安定していたようです^^
作業の方は、スウェーデン刺繍と木工だったようで、
持ち帰ったスウェーデン刺繍のティッシュ入れは、管理人が今も使っていますし、
木工細工の入れ物は、鉢カバーとして活躍しています^^。
遠足・社会見学・運動会・学習発表会は、9回、キャンプは、5回、
修学旅行は、2回・・・ということで、どれも経験も積み、
亜沙美なりに楽しい行事として捉えることが出来たのではないかと思います。
特に、修学旅行は、とても楽しかったようで、
今も毎日のように修学旅行のビデオを見て、「夕霧荘へ行こう!」
「海賊船に乗ろう!」と言ったりします。
(修学旅行先は、箱根方面・富士サファリーランドでした。宿泊先の夕霧荘での
宴会?は、特に楽しかったようで、ビデオを見ながら笑っています^^。)
それから、連絡帳を読んで、笑ったのが、

<私の事を、「じゅんこ!じゅんこ!」と呼ぶのです>

と書いてあったことです。
笑っては失礼だとは、知りつつ、笑ってしまいました。
亜沙美は、大ベテランのF先生に向かって、(じゅんこ)と下の名前で
呼んでいたとは・・・。それも、呼び捨て・・・汗。
でも、その被害にあわれた方は、他にも沢山おられるようで、
5・6年でお世話になったO先生のことは、「きみこ!きみこ!」と
呼んでいたようですし、担任のA先生のことは、
今も、「ちかこ!ちかこ!」と言っています・・・汗。
そして、自分のことは、「亜沙美ちゃん!」と、ちゃんを付ける
ちゃっかり者です・・・笑
(どの連絡帳にも、「亜沙美ちゃんに言われると、怒れないのよね」・・・と
書いてありましたが、本当だったのでしょうか?・・・気になります・・・笑)

懇談の時だったと思うのですが、F先生から「1・2年の時、
移動なんかに手間取る姿を見て、大変な子なのかと、思っていましたが、
受け持ってみて、驚きました。移動は、指示しておけば、
少し遅くなるけど、一人で来ます。
そして、他の事は、全部やれます。なんと楽な子だろうと思いました。
お母さんは、何の心配もされなくて大丈夫です」と言われたのです^^
初めて、先生から褒められました^^。
これで、高等部に進級してもやっていけそうだと、安心したものです。

(中学部最後の写真は、少し、真面目な写真にしてみました・・・笑。)

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余談

1125

亜沙美の通っていた養護学校の親の会は、学年委員と地区委員から
成っていました。当然、私も役員は回ってきました。
(これは、逃れられないようです・・・笑。)
学年委員と地区委員は、学校行事の手伝いとは、別に、クラス又は、
地区の懇談会を開催する役目もあります。
私が、小学部の頃は、地区懇談会は、とても盛大で、
同じ市に住む母親の殆どが出席していました。
ですから、自己紹介が済むと、懇談会は、相談会と化し、
先輩お母さんから、とても為になる話しが聞けたものです。
しかし、いつの頃からか、参加者は、減り続け、卒業するころは、
役員が誰かさえ分からず、懇談会の開催もされなくなりました。
時代の流れでしょうか?

亜沙美が安定して、少し楽になったなぁ・・・と思ったら、
今度は、手をつなぐ親の会と福祉を考える会の役員が回ってきました
(任期は、2年)・・・汗。
(どうも、暇にさせては、くれないようです・・・笑)
前者は、行事の運営(一日旅行・一泊旅行・クリスマス会など)で、
後者は、行政への折衝の為の準備会みたいなものでした。
当時、T市の親の会は、かなり力が入っていて、会長・副会長は、
お父さんがされていました。
ですから、会合は、夜(7時から9時)に行われました。
夜は、ちょっと困りました。
亜沙美を一人残して会合に行くわけには行きませんし・・・。
でも、どうにか、主人と管理人に協力してもらい、
任期を全うすることが出来ました。
年が明けると、来年度の役員の選抜が始まりますね。
役員の仕事は大変ですが、結構、色々な経験が出来、
色んな情報が手にはいるものです。
(役得というものが必ずあります^^)
選ばれそうな方・・・覚悟を決めましょうねっ^^

高等部に進学するためには、入試というものがありました。
試験内容については、残念ながら、分かりません。
先生と別室に行ってしまいましたから・・・笑。
ただ、言える事は、<遅刻をしない!>。
それから、<当日は、休まない!>ぐらいです^^
<欠席さえしなければ、亜沙美の通っていた養護学校は、合格でした^^>

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まさるママから音楽・温水(ヌクミズ)バトンというのが回ってきました♪
『気持ちが暖かくなり(温)、
思わず涙(水)がこぼれてしまうような曲を3つ教えてください。』
というバトン企画なのだとか

【バトンについて】
★あなたの琴線に触れた、「暖かくて泣ける曲」を3つ教えてください。
もちろん、邦楽・洋楽問わず。
バトンは3名に回してください。(1名でも、もっと多くてもいいです)
スティーヴンスKさんという方が発信元らしいです。
・・・ということで、

笑いを取って、演歌3曲・・・と思いましたが、演歌は、知りません・・・汗。
仕方なく、真面目に書くことにしました♪
まず、1曲目は、解散してしまった、FIELD OF VIEWのラストシングル
『Melody』・・・8年来のファンでしたので、ラストシングルには、
何とも言い尽くせない想いがあります。

2曲目は、小田和正の
『言葉にできない』・・・題名通り、言葉に出来ません。

(3曲目は、美空ひばりの川の流れのように・・・というのは、冗談です。)

3曲目は、槇原敬之の
『僕が一番欲しかったもの』・・・ホント、いい曲です^^

<そして、今聞きたい曲は、上原ひろみさんのアルバム・・・余談です>

では、バトンを渡す人の発表です♪

イラストレーターのせきあゆみさん
仲良しママの海苔ピーさん
亜沙美の通っている施設のスタッフ、若手ホープの小島圭さん
あみあみの管理人、はこねこ
以上、4名に決定!

皆さん、宜しくです^^。

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高等部1

1129

花の女子高生になる為には、高校受験がありました
(余談でも、ふれていましたけど^^)卒業する時、担任のF先生から、
とにかく、欠席させないようにということを言われていましたので、
健康にだけは、気を配りました。
そして、当日、もし、道中何かアクシデントがあったらいけないので、
奨吾君のお母さんと待ち合わせ、2台の車で、学校に向かったのです。
それは、それは、慎重です・・・笑。
何と言っても、<滑り止め>を受験していませんから・・・。
そんなのありませんでしたけど・・・笑。
そして、無事、受験を終え、合格通知を頂き・・・花の女子高生の誕生です^^。

小・中と同じ校舎とはいえ、高等部は、雰囲気が違いました。
元気な話し声が聞こえて来ますし、放課後には、部活に参加する生徒達で
賑わっています。
小・中と一緒だった子供達の倍以上の生徒が他校から進学して来たからです。
<この中で、一緒に過ごして行けるのだろうか・・・>と正直、
私が不安になりました。
その上、作業の時間や授業の時間が増え、クラスで過ごすのは、
朝と帰りぐらいです。
担任の先生との連絡帳のやり取りも、連絡のみになりました。
作業は、裁縫・手芸・工芸・窯業・農業・木工・ワンタッチパッカーがあり、
その中から自分の好きな作業を選び、1年間、その作業を続けます。
亜沙美は、窯業を選びましたが、この作業はとても気に入ったようです^^
粘土板にクッキーの型抜きをあて、型を抜く作業です。
丁寧さには、欠けましたが、早さにかけては、負けませんでした^^
(丁寧でないと製品にはなりませんので、
不良品を沢山生み出していたということかも知れませんが・・・汗)
行事は、小学部の頃は、春に音楽発表会、秋に運動会、
冬に学習発表会と慌しい1年間でしたが、少しづつ見直され、
亜沙美が高等部の頃は、春に運動会、秋にお祭り(2日間の発表会)が
あるだけになりました。おまけに、この年のキャンプは、台風の為、中止になり、
イベントに弱い亜沙美にとっては、かなり気楽な1年間になったのではないかと
思います。担任のS先生は、男の先生ということもあって、
副担のI先生が、亜沙美の介助をして下さり、
私の心配をよそに、亜沙美は、結構楽しい1年間を過ごしたようです^^


部活に参加出来るのは、自力通学の生徒だけですから、
亜沙美のように通学バスを利用する生徒は、
参加は、出来ませんでした。その後、高等部のバス通学の生徒の為に、
美術部と音楽部が作られ、週一、部活に参加出来るようになりました。
ただ、週一でも、重度の生徒の部活があるのは、
この近辺の養護学校には、珍しかったようです。
出来れば、元気いっぱいの男の子の為に、運動部を作って頂けたらと思いました。
高等部になっても小学部と同時刻に帰宅するため、子供達は、
かなり体力を持て余していたようで、
お母さん方の負担は、いつまで経っても減らなかったのではないかと思います。


受験当日ですが、親の面接があったことをすっかり忘れていました。
そう、子供達が試験?を受けている間、ただ、ぼ~っと待っていたのではなく、
面接を受けていたのです・・・汗。
来春受験のお子さんをお持ちのお母さん、練習をして下さいねっ・・・笑。

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プロフィール

あみあみの母

Author:あみあみの母
自閉症の娘、あさみの
成長の記録です。
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もくじ

01 お誕生~半年

02 生後半年から2歳半まで

03 1歳から2歳半ごろ

04 2歳半~3歳半頃

05 2歳半から3歳半頃

06 3歳~3歳半頃

07 3歳から4歳ごろ

08 4歳

09 4歳頃~4歳半まで(年少さんの時期)

10 4歳の頃(文集)

11 4歳(文集から)

12 4歳(文集から2)

13 4歳半から5歳半(幼稚園・年中)

14 5歳半から6歳半(年長)

15 余談・・・就学

16 小学部1年生

17 もう一度、1年生

18 小学2年生

19 小学3年生

20 4年生

21 余談~<家>

22 5年生

23 余談(療育相談)

24 余談(地域支援センターらいふ)

25 6年生

26 余談(とくなが先生)

27 中学部1年生

28 中学部2年生

29 中学部3年

30 余談

31 高等部1

32 高等部2

33 そして、今

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